松本英一郎「町の空白」

松本英一郎「町の空白」1995年、紙・水彩

松本英一郎「町の空白」1995年、紙・水彩

さびれた繁華街なのでしょうか。大きな通りに人らしきものがぼつんと描かれています。空が青く、影が長くのびているのを見ると時間は朝早く。車も通らず、ただそれだけの風景。画面右側に立ち並ぶ白いビル群には窓すらも描かれていません。題名は、画面右下にあるように《町の空白》。なるほど空白かと合点もいきますが、《空白の町》とすればちがうのだろうかと想像もふくらみます。さらには画面全体に広がる奇妙な斑点模様。画家はいったい何を描こうとしたのでしょうか。

この水彩画を描いた松本英一郎は、むしろ油彩画家として知られています。1932年福岡県久留米市に生まれ、県立明善高校から東京藝術大学に進学しました。大学院に在学中からとくに独立美術協会で頭角を現し、すぐに「平均的肥満体」シリーズでユニークなスタイルを確立しました。その後「退屈な風景」「さくら・うし」「花と雲と牛」といったシリーズを展開し、「なさそうで実在する風景、ありそうで実在しない風景」を描き続けました。

「満帆2」1969年、油彩・画布

「満帆2」1969年、油彩・画布

「風景No.4」1981年、油彩・画布

「風景No.4」1981年、油彩・画布

「頂上の風景」1987年、水彩・紙

「頂上の風景」1987年、水彩・紙

「さくら・うし」1990年、油彩・画布

「さくら・うし」1990年、油彩・画布

「さくら・うし」1992年、水彩・紙

「さくら・うし」1992年、水彩・紙

油彩画でも水彩画でも同じくふしぎな風景を描きましたが、この作品や「つき当たりの風景」のようなシリーズは水彩画だけでの実践になります。しかしシリーズや画材の違いを超えて松本は、何もない空間から発せられる磁場のようなものを描こうとしているのかもしれません。短いアーケードの向こう側、画面左の空白の部分に人も影も通りも建物も吸い寄せられていくと同時に、画面全体を覆う斑点模様がこの空白の部分から放出されているように見えなくもないでしょう。

いやそれよりも、この斑点模様のゆえに絵の風景が奥行きを持たないうすい平面に見えてはこないでしょうか。現実の風景を線遠近法という技法にのせて描くと同時に自らの網膜に映ったそれのように描くこと。風景を網膜化すること。それによって松本は、両者の間(あわい)に揺れる風景のリアリティをつかみとろうとしたのかもしれませんし、あるいは風景/空間から発せられる磁場に引き寄せられる自分自身(の眼)とその密やかで睦まじい関係とを描こうとしたのかもしれません。(竹口)

絶筆「花と雲と牛」2001年、油彩・画布

絶筆「花と雲と牛」2001年、油彩・画布


九州芸文館で開催中の「福岡県立地美術館コレクション展 うつろうかたち とけあうことば」(~7月6日)において《さくら・うし》をはじめ松本英一郎の油彩画・水彩画を6点ご覧いただけます。

→ http://www.kyushu-geibun.jp/
→ http://www.kyushu-geibun.jp/main/1334.html