台の上に火の点された蝋燭が一本立っている、たったそれだけの作品だが、野十郎は画業の初期にあたる大正時代から晩年まで、この蝋燭の作品を数知れず描き続けた。画面の大きさは、サムホールと呼ばれるサイズから変わることはなかったが、蝋燭の長さや台の取り込み方、揺らめく炎の様子などは、少しずつ異なっている。長きに渡って描き続けた作品ではあるが、個展で発表されることはなかった。彼と親しく交わった友人知人たちの手元に、遠慮がちにみずから贈り届けることが、もっぱらであった。なぜ蝋燭を描くのか、蝋燭とはなにか、その理由も意図も語ることがなかったという。絵である限り、この蝋燭は尽きることなく永遠に光を放ち続ける。そして描かれた蝋燭の絵を一人一人に手渡していく行為には、どこか灯明を献じて廻るような儀式性すら感じられる。おそらく彼が深く傾倒していた仏教的な考えが反映していたのだろう。この絵を見る者は、炎の先端が揺らめきながら闇へと消えていく、光と闇との沈黙劇に思わず見入ってしまう。野十郎の心を捉えた仏教がどのようなものであれ、この作品は、火に対して抱く人間の原初的な宗教的感情を見る者の心に呼び覚ましさえするだろう。なお大正期に描かれた本作は、一連の蝋燭の絵のなかで、最初期に位置している。
(M.N)