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古川吉重展残り3日です&絵画のヨコについてのお話

「古川吉重1921-2008」展も残すところあと3日になりました。
福岡に生まれ、40歳を越えてニューヨークに渡り、抽象の世界を追い求めた古川吉重さん。
本展では4つの章と幕間で古川さんの軌跡とその作品の魅力を紹介しています。

古川吉重「L9-4」1990年、北九州市立美術館蔵

古川吉重「L9-4」1990年、北九州市立美術館蔵

古川吉重「L-42」1981年、福岡市美術館蔵

古川吉重「L-42」1981年、福岡市美術館蔵

 

 

さて、会期残りわずかになり、古川さんの世界を十分に堪能された方も多いかと思うので、ちょっと小ネタをご紹介します。

よこトリミング

灰色の地に赤、黄土色、黄色や白、そして黒が飛び交うこの「作品」(ひとまず作品とします)。
展覧会をご覧になったかたはご記憶にあるでしょうか。
おそらく「記憶にない」かたのほうが多いのではないかと思います。
というのも、これはある作品の「ヨコ(側面)」だからです。
ちなみに正面から見るとこんな作品です。

古川吉重「L3-5」1986年、埼玉県立近代美術館蔵

古川吉重「L3-5」1986年、埼玉県立近代美術館蔵

正面から見たときに目に入る色彩と側面から見たときに目に入る色彩の印象は随分違います。
(とはいえ、よくよく見ると、弾丸のような、アーチ型の扉のような白い形象には赤の色が重ねられていますし、青い長方形の端には鮮やかな赤や黄、オレンジが垣間見えています。)

正面観と側面観のこの違いはいろいろなことを考えさせられます。

例えば、黒の世界から色彩の世界への中間点としての「L3-5」の位置です。

この作品が描かれる前、1980年代前半、古川さんは70年代の画布とゴムシートを縫い合わせた作品から「描くこと」に回帰し、いわば「黒の絵画」と言えるような一連の作品を手がけていました。
この記事の二番目に掲載している「L-42」(1981年)はまさにその時代の作品です。
そして、その黒の時代を経て、80年代後半から古川さんは色彩豊かな抽象絵画の世界を展開していくようになります。
この記事で最初に掲載している「L9-4」(1990年)は色彩が画面に広がりはじめたころの作品で、今日、古川吉重さんの絵画といえば、こちらの作風を連想する人のほうが多いでしょう。

「L-42」では黒を基調とした地の上に、白い形象が画面からはみ出しながらも描かれ、さらにそこに青い長方形が描かれています。黒と白を中心とした抑制された色彩感覚は80年代前半の黒の時代に近く、そこに差し込まれる青が次の時代を予兆しています。
しかし、実は、この作品では、作品の側面にこそ、80年代後半から前面化される色彩が渦巻き、顔をのぞかせてるとも言えるのです。
むしろ、正面の幾何学的に整えられた世界以上に、この側面の交じり合う色彩こそ次の時代の萌芽を示しており、また、過渡期の絵画が胚胎するエネルギーの表れとなっているとも考えられるのです。

一方で、古川さんのその後の絵画では、正面から見える色彩と側面から見える色彩はほとんど同じです。
絵画のヨコをどうするか。古川さんはいろいろなことを試みています。
絵画のヨコは「絵画とは何であるか」を考える上ではとても重要な要素であり、また画家が「絵画とは何であるか」を示すための重要な要素とも言えるでしょう。
カンバス(支持体)の表面に広がる世界が絵画の世界なのか否か。
このヨコを巡る試みの末、古川さんがたどり着いたのは、正面の色彩とほぼ同じ色彩を側面を採用するスタイルでした。
古川さんにとって「絵画」とはこのようなカタチだったのでしょう。

ちなみに、古川さんはゴムシートの作品も「絵画」という言葉で表現しています。
「そこに生ゴムがあったから、ということです。私にとってはごく自然なペインティングだと受け取っていただければ・・・・・・」(『毎日新聞』1977年3月5日付)

古川吉重「無題」1974年、埼玉県立近代美術館蔵

古川吉重「無題」1974年、埼玉県立近代美術館蔵

しかし、実は、晩年の古川さんの絵画のヨコは異なる展開を示します。

古川さんにとって「絵画」とは何だったのか。どうあるべきものだったのか。
その探求はきっと、紙の上ではなく、会場でこそ感じ取ることができるものでしょう。(藤本)

 

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