2015年12月25日
展覧会を見に来てくれた知人が興奮気味にこんな言葉をくれました。「着物って縁遠いものと感じていたけど、今日の展示を見てすごく近くに感じられたし、今まで何となく好きだったマリメッコのファブリックもじつはすごいんだ!ってことがよく分かった」と。とてもありがたい感想でした。
普段の暮らしで着物を着たりたしなんだりする人はごく少なく、それ以外の人にとってみればどこか時代遅れの、「きれいねえ」とは思っても自分たちの現実や感覚とは切り離されたものとしか感じられないとしても、それはそんなにふしぎなことではないでしょう。それでもつくり手は人生を賭けて着物をつくり、わたしは着物から学び知る知恵や術があると信じて展覧会をつくりました。
「きれいねえ」と着物を眺めてもらうことは、もちろんうれしいことです。しかしもう一歩踏み込んで、前のめりになって作品と向き合い、その美しさがどこからもたらされたのかをそれぞれの鑑賞者が自分なりに考え、自分の現実と結びつけて受け止めてもらうことができれば、さらにうれしいことです。そして展覧会は、そういう場として機能することができます。
作品をどう展示するのか、展示空間をどういうふうにつくるのか、ライティングはどうするのか、どんな解説文をどのくらい掲示するのか、会場看視は鑑賞者にどのように接するのか、などなど、全てはわたしが伝えたいことを分かりやすく伝えるためではなく、わたしが考えていることをいっしょに考え、ときにはいっしょに悩んでもらうための場をいかにつくるかなのです。結果として伝えたいと思っていたことは伝わらないかもしれませんが、伝わってしまうものはちゃんとあって、そのついつい伝わってしまったものが(鑑賞者の数に応じて)どれだけ多種多様にあるかが、場としての豊かさやコミュニケーションの面白さにつながるはずなのです。
展覧会に来てくれた知人が、わたしの思惑などはるかに超えてぐぐっと近づいて、マリメッコのすごさを自ずから実感してくれたように。(竹口)