昭和5年、野十郎は欧州にむけて旅立った。前年には個展開催のため大連に渡り、正月過ぎて間もなく北米航路の船上の人となった。ニューヨークを経由してフランス、ドイツ、オランダ、イタリア、イギリスを巡り、昭和8年に帰国した。彼の滞欧中の動向について判明しているところは少ないが、美術館や教会を訪れては名画に接する日々を送ったと言われている。異国の景観に触れたからであろうが、滞欧中はおもに風景画を手がけている。しかも都会風景よりも、田園や小さな集落を好んで描いている。さらに、河畔に停泊した飾り気ない船を描いた本作でもわかるように、写実的な表現ではありながらも、それまでの細やかな描写から、ざっくりとした筆さばきに変化している。ヨーロッパに来て新しい描法に挑戦したというよりも、滞在地を変えながらの制作であったため、短時間で仕上げる必要に迫られたからだと思われる。しかしそれがかえって逆に、滞欧期以外の彼の風景画には見られない自然な雰囲気と伸びやかさを与えている。
(M.N)