この当時、ヨーロッパへはシンガポールを経由してスエズ、地中海を渡ってマルセイユに上陸するか、あるいはソ連と国交を結んでからはハルピンを経由してシベリア鉄道を利用し、モスクワから入るのが一般的であったようであるが、野十郎はなぜか、アメリカ、パナマ経由で渡欧している。昭和5年(1930)1月に出港し、2月にニューヨークに到着した。イースト・リバーから両岸の眺めを描いた作品が多く伝わっており、本作と同構図の作品も何枚か描いたようだ。ちょうどマンハッタンは摩天楼の高さを競っていた頃であるが、マンハッタンの街なかを描いた作品はなく、港風景ばかりで、しかも汽船の吐き出す煙や街のスモッグに注目して、画面はどれも灰色主体である。ビジネスの街というよりも「霧と煙」に包まれた工業の街としてニューヨークやアメリカを見ていたのかもしれない。(MN)
*本作は、高島野十郎特設コーナーに展示中です(2018年3月17日~6月中旬ごろまで)。