2016年2月24日
福岡県春日市に住まい、40年余りにわたって型絵染作家として活動してこられた釜我敏子さんの活動と姿を紹介する展覧会「型と花と 釜我敏子の型絵染」が2016年1月17日をもって終了いたしました。前年の11月29日から始まって会期37日間、4,411人の来場者を迎え、釜我さんの作品の魅力を伝えるだけでなく、その生き方を知り学びぶことができたと思います。
展覧会から得られた学びを、ではどのようにつないでいくことができるのか。そのことを考えつづけ、また機会や場を開きながらみなさんと対話できることを願っています。
ここにはひとまずの記録として、会場写真と会場に掲示していたテキスト3つをあげておきます。ふと思い出した時に、見返したり読み返してもらえればうれしく思います。(竹口)
ごあいさつ
このたび福岡県立美術館では、型絵染作家 釜我敏子(かまがとしこ/1938~ )の第22回福岡県文化賞(2014年)受賞を記念して、釜我の初期から現在までの仕事を紹介する回顧展を開催します。
釜我を型絵染の世界へと導いたのは、木版摺更紗の技法を独自に確立した鈴田照次の作品との出合いでした。手習いとしてろうけつ染めの教室に通うなかで本格的な創作欲が高まりつつあった頃、型の繰り返しが実現する圧倒的な美しさを目の当たりにし、釜我の一からの挑戦が始まりました。佐賀大学で教鞭をとっていた城秀男や重要無形文化財「長板中形」保持者 松原定吉の息子たちであり「松原四兄弟」と呼ばれて活躍していた松原福与、利男、八光、与七との縁を得て、彼らの教えを請いつつ修練を積み、釜我は昭和51年(1976)の第23回日本伝統工芸展に初出品、初入選を果たしました。その後も家庭の仕事と作品の制作を両立させながら、決して妥協することのないものづくりを実践します。そして平成19年(2007)の第54回日本伝統工芸展では念願の受賞。近しい人たちからたくさんの祝福を受けるとともに、同じく染の道を志す人たちに大きな希望を与えることになりました。
「最小限の型紙で最大限の表現を」。釜我が繰り返し口にし、自らにも課している信条です。絵を描くように自由に模様を染めるのではなく、意匠にあわせて型紙の数を増やすのでもなく、釜我は型の制約を引き受けることでその繰り返しによる特質を最大限に活かそうと手と心を尽くします。そうであるからこそ釜我の型絵染着物は型染としての必然性を鍛えられ、表現としての強度を獲得するのです。それはまるで自然がただ自然としてあるがゆえに美しく、私たちの目を励まし、心を癒してくれるのに似ているでしょう。
展示室に並んでいる着物は、釜我の長い創作活動からすればごく一部にしかすぎません。しかしここから広がる景色は無限であり、釜我という人物から学ぶべき智慧は膨大にあります。そのかけらだけでもここで受け取ってもらうことができれば、うれしく思います。
2015年 福岡県立美術館
展覧会に惜しみない協力をくださった釜我敏子氏に、まず心からの感謝を申し上げます。あわせて貴重な作品をご出品いただいた美術館と個人所蔵家の皆様、その他展覧会の実現にお力添えいただいた全ての方々に深くお礼申し上げます。
九州産業大学美術館、佐賀県立博物館・美術館、東京国立近代美術館、日本システムサプライ、日本工芸会西部支部 荒牧由紀子、江口博明、小幡美和、川副麻理子、喜多恵子、郡 美恵子、後藤ひろみ、城塚蓉子、築城則子、續 久仁子、廿楽香代子、虎島英子、中西英貴、平野公憲、古屋恵代、宮原香苗、山口知子、笠 和子(五十音順、敬称略)
企画:竹口浩司(福岡県立美術館)/デザイン:尾中俊介(Calamari Inc.)/空間:坂崎隆一/写真:山﨑信一(STUDIO PASSION)/映像:越智正洋/会場看視:河原裕子、鳥谷さやか、中村千東、平坂麻衣、古川ちずる
揺れ動く着物という空間
「型絵染」とは読んで字のごとく型(紙)を使って絵(模様)を染める技法のことです。型染の一種ですが違うところは大きく二つ。ひとつは、たとえば江戸小紋や長板中形が細密な文様をすっきりと染めあげる技法であるのに対して、型絵染は意匠に富んだまるで絵のような模様を染めだすところ。さらにひとつは、前者が型彫り(型紙を彫る作業)、糊置き(型紙を用いて生地に防染のための糊をひく作業)、色差し(染める作業)などの工程を全て分業化しているのに対して、後者は下絵(デザイン)から染めまでの全工程を一人でこなすところに特徴があります。
その歴史は古くなく、昭和31年(1956)に芹沢銈介の型染技法が重要無形文化財に認定されるに際して考案され、型絵染という言葉がはじめて使われました。沖縄の紅型に魅せられた芹沢が、研究の末に切り拓いた独自の型染技法はその後も脈々と受け継がれ、同じく重要無形文化財保持者である鎌倉芳太郎や稲垣稔次郎たちもまたそれぞれの型絵染の表現を確立したのです。
釜我敏子の型絵染の特徴は、繊細な模様の徹底した繰り返しにあります。ほとんど余白なく模様で埋め尽くされる着物は、一見構図のヴァリエーションに乏しく映るかもしれませんが、仔細に見ればありとあらゆる技法的な実験が行われていることが分かります。ある時は模様全体が大きくうねり、ある時はリズミカルな模様が心地よく響き、またある時は色のグラデーションが模様に揺らぎを与えます。釜我の着物の前に立つ私たちは、眼よりも先にまず身体がその美しさに感応していることを知るでしょう。
小さな型の繰り返しだからこそ作家の手を離れ、着物という枠さえ離れて招来しうる大きく伸びやかな空間があります。釜我の着物は見る角度によって、あるいは見る時によっても同じ模様が図になったり地になったりとその関係が揺れ動き、捉えがたさがそのまま空間の厚みとなって私たちの身体を丸ごと包み込んでしまいます。釜我の着物が自然に似ているというのは、釜我が野の草花をモチーフにしているからというよりむしろ、見られることによって広がりゆく空間の親密さと懐深さにあるのです。
遅く歩くことのできる人
釜我敏子の表現は日々の散歩から始まります。愛犬とともに自宅兼工房を出かけ、まだ自然の多く残る環境のなかで釜我はさまざまな出合いに足を止めます。道端に楚々と咲く小さな花、人知れず堂々と枝を伸ばす大きな木。その生命力に心動かされ、釜我はありとあらゆる植物を表現のモチーフへと仕立てあげるのです。
77歳の喜寿を迎えた釜我は「いつまでも驚く気持ちを持ちつづけて」と言います。ただしそれは「子どもの心を忘れないように」というのとは少し違って見えます。植物について豊富な知識を持つ釜我ですが、だからこそ「この花がこんな葉のつけ方をするなんて」「あの花の隣にこの花が咲くことがあるなんて」といった驚きが生まれることになるのです。暮らしのなかで遭遇する小さな驚きを原動力として、想像を膨らませ、イメージ図をいったん大きく描きだした後に釜我は小さな型紙の繰り返しによるデザインへと昇華させる難しい作業へと移っていきます。
世界はその隅々にまで驚きに充ちてあります。釜我はそれらの一つひとつに声を挙げ、驚きを再発見し、自らの表現へと活かします。それはしかし、驚きの源泉へと一足飛びに到達しようとするものではなく、むしろ到達の実現性をなるべく先送りにしながら、歩幅を微分的に小さくし、歩くスピードをどんどん遅くしながらそこに近づいていこうとする営みなのです。到達する瞬間をどれだけ遅らせることができるのかが、世界の途方もない密度や厚みを証明することにもなるでしょう。
絵を自由に描くのではなく型紙の上へとデザインを落とし込み、筆で直接描くのではなく渋紙を彫刻刀で彫り、絵具で塗るのではなく染料で染める。技法による制約、素材による不自由の方に自らの表現を寄せて技術を鍛えることは、作家の個性を縛ると言えば縛りますが、同時に世界へと開いていきます。それゆえ釜我は、自らの手で染めあげた着物を前にして「こんな空間が広がるなんて」てもう一度驚くこともできるのです。
釜我にとって型絵染という技法は、驚きに充ちた大きな世界を表現というエゴの内に小さく私有するのではなく、さらなる驚きをもって世界へと照らす返す方法でもあります。それこそが、自身の手を超えたあるがままの世界と、しかし手という無限の可能性を通して向き合おうとする態度なのです。