2021年6月20日
福岡でも緊急事態宣言が解除される見込みとなり、22日からコレクション展Ⅱもオープンできそうですが、この週末はまだ閉室中です。先日にひきつづき、コレクション展Ⅱの展示の様子をご紹介いたします。
前回の内容はこちらをご確認ください→ 「コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【1】」
1963年、渡米した古川吉重は、当初のヨーロッパ周遊の予定を変え、アメリカで生きていくことを決意します。予定外の生活は、レストランや土産物屋など職を転々とするなど、なかなか苦しかったようです。しかし、ニューヨークのアートシーンの新しい潮流に触れた古川は、そのような生活にあっても、これまでとがらりと作風を変えた作品に意欲的に取り組んでいきます。
この時期に古川が取り組んだものの一つに黒いゴムシートと下地が施されていない素のカンヴァスを貼りあわせた作品群があります。1967年の帰国展で展示されたそれらゴムシートの作品は日本で高く評価されました。
古川はそれらの作品を「西日本新聞」(1977年3月2日付)への寄稿で以下のように振り返っています。
「ともあれ私もいつの間にか、ニューヨークに住み着いて長くなってしまった。こんな状況の中で自分というものが少しでも変っていったのだろうか。街のビルが高ければ高いほど、その影は濃い。いつも通るダウンタウンの道は空きびんや屑が散らかっている。片すみで見かけたうす汚れたゴムは、そのありようも素材も忘れられないものがあった。ペイントをする必要もないまま、それをつなぎわせているのが、今の私の一連の作品である。」
しかし、1970年代末から古川は次第に油彩画への回帰を試みます。黒と白の油彩画から、次第に中間色が入り、そして色彩が再び戻ってきます。
色彩、そして油彩画へと回帰した古川が生み出したのは、いくつもの色が塗り重ねられた「地」に、原色に近いはっきりとした色の幾何学的な形の「図」の組み合わせ。マチエール(質感)の対比もあって、カラフルな図形が色彩の中にぷかりと浮いているようにも見えます。地と図が対比された古川を代表する作風がこのとき成立したのです。
描いては消し、消しては塗り込めていくうちに、初めのうち頭の中にあった何かは、いつの間にか消え失せていく。外に出て道を歩きながら、繰り返し何度も確かめた筈のものが、手を動かす作業の中で消滅していくのは何故だろう。「イワシの頭も信心から」とい う言葉の通り、本来何も無いのではないか。描き、塗るというフィジカルな行為そのものが本質ではなかろ うか、と思う。ペインティングという言葉の ing ばか りが気にかかる。それでも作業の終わりに近づき、こ れでよいと止めた後、次の日をみて愕然とする事があ る。折角置いた形が、その位置が、嘘のように色褪せ る。消費した無駄な時間、加えて馬鹿にならない材料費――。
結局人は、いやぼくは、はっきりとしたゴールを見 いだせないまま、時を過ごしているにすぎないのであ ろうか、と思いながらも、平面の上に何度も色を塗っ ていく今の仕事は、長い年月の中で積み重ねられてい く、質や色の違った地層に似ていると感じることがあ る。傷ついた車体の修復塗装のように、何回も異なっ た色を重ねた後のグレイと、一色のグレイは同じでは ない、人の手によりながらも意識を離れて自然に出来 ていくのが望ましい。
ピザの生国をアジアだと思う人がいないように、ぼくの作品のルーツをイタリーだとは考えにくいだろう。 外国での滞在が長くなるにつれて、根無し草のように 浮遊しているだけかも知れないが、今も発生した所の 匂いは消えず、むしろそこに強い引力を感じながら、 いつまでも漂っているような気がするのだ。
古川吉重「ペインティング」『国立国際美術館月報』第15号(1993年)より一部抜粋
そして、1997年にはワシントン・ナショナル空港の新ターミナルビルのパブリックアートの制作者の1人として選ばれることになります。
続きは<コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【3】>で。しばらくお待ちください。