福岡県立美術館
Fukuoka Prefectural Museum of Art
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コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【2】

福岡でも緊急事態宣言が解除される見込みとなり、22日からコレクション展Ⅱもオープンできそうですが、この週末はまだ閉室中です。先日にひきつづき、コレクション展Ⅱの展示の様子をご紹介いたします。

前回の内容はこちらをご確認ください→ 「コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【1】」

1963年、渡米した古川吉重は、当初のヨーロッパ周遊の予定を変え、アメリカで生きていくことを決意します。予定外の生活は、レストランや土産物屋など職を転々とするなど、なかなか苦しかったようです。しかし、ニューヨークのアートシーンの新しい潮流に触れた古川は、そのような生活にあっても、これまでとがらりと作風を変えた作品に意欲的に取り組んでいきます。
この時期に古川が取り組んだものの一つに黒いゴムシートと下地が施されていない素のカンヴァスを貼りあわせた作品群があります。1967年の帰国展で展示されたそれらゴムシートの作品は日本で高く評価されました。
古川はそれらの作品を「西日本新聞」(1977年3月2日付)への寄稿で以下のように振り返っています。

「ともあれ私もいつの間にか、ニューヨークに住み着いて長くなってしまった。こんな状況の中で自分というものが少しでも変っていったのだろうか。街のビルが高ければ高いほど、その影は濃い。いつも通るダウンタウンの道は空きびんや屑が散らかっている。片すみで見かけたうす汚れたゴムは、そのありようも素材も忘れられないものがあった。ペイントをする必要もないまま、それをつなぎわせているのが、今の私の一連の作品である。」

しかし、1970年代末から古川は次第に油彩画への回帰を試みます。黒と白の油彩画から、次第に中間色が入り、そして色彩が再び戻ってきます。

古川吉重《無題》1980年、当館蔵


古川吉重《F-2》1986年、当館蔵

色彩、そして油彩画へと回帰した古川が生み出したのは、いくつもの色が塗り重ねられた「地」に、原色に近いはっきりとした色の幾何学的な形の「図」の組み合わせ。マチエール(質感)の対比もあって、カラフルな図形が色彩の中にぷかりと浮いているようにも見えます。地と図が対比された古川を代表する作風がこのとき成立したのです。

古川吉重《L10-2》1992年、当館蔵


古川吉重《L10-4》1991年、当館蔵

古川吉重《L14-2》1993年、当館蔵

描いては消し、消しては塗り込めていくうちに、初めのうち頭の中にあった何かは、いつの間にか消え失せていく。外に出て道を歩きながら、繰り返し何度も確かめた筈のものが、手を動かす作業の中で消滅していくのは何故だろう。「イワシの頭も信心から」とい う言葉の通り、本来何も無いのではないか。描き、塗るというフィジカルな行為そのものが本質ではなかろ うか、と思う。ペインティングという言葉の ing ばか りが気にかかる。それでも作業の終わりに近づき、こ れでよいと止めた後、次の日をみて愕然とする事があ る。折角置いた形が、その位置が、嘘のように色褪せ る。消費した無駄な時間、加えて馬鹿にならない材料費――。 

結局人は、いやぼくは、はっきりとしたゴールを見 いだせないまま、時を過ごしているにすぎないのであ ろうか、と思いながらも、平面の上に何度も色を塗っ ていく今の仕事は、長い年月の中で積み重ねられてい く、質や色の違った地層に似ていると感じることがあ る。傷ついた車体の修復塗装のように、何回も異なっ た色を重ねた後のグレイと、一色のグレイは同じでは ない、人の手によりながらも意識を離れて自然に出来 ていくのが望ましい。 

ピザの生国をアジアだと思う人がいないように、ぼくの作品のルーツをイタリーだとは考えにくいだろう。 外国での滞在が長くなるにつれて、根無し草のように 浮遊しているだけかも知れないが、今も発生した所の 匂いは消えず、むしろそこに強い引力を感じながら、 いつまでも漂っているような気がするのだ。

古川吉重「ペインティング」『国立国際美術館月報』第15号(1993年)より一部抜粋

 

そして、1997年にはワシントン・ナショナル空港の新ターミナルビルのパブリックアートの制作者の1人として選ばれることになります。

続きは<コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【3】>で。しばらくお待ちください。

コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【1】

緊急事態宣言の延長でコレクション展Ⅱのオープンは延期されることになりました。しかし、オープンの予定は6月22日(火)とまだまだ先。せっかくなので開幕までに会場風景や展示作品を少しずつご紹介したいと思います。

展覧会の内容についてはこちらのページもご覧ください。→コレクション展Ⅱ 特集1:古川吉重の抽象 特集2:ようこそedukenbiへ!

第一弾として会場風景をちょっとだけお見せします。

最初のコーナーは「特集1 古川吉重の抽象」の冒頭となります。古川が渡米する前に、日本で描いていた作品をご紹介していきます。

古川吉重は、1921年、福岡市大江町(現・中央区大手門)に生まれました。幼いころから絵を好んだ古川は、福岡県中学修猷館(現・県立修猷館高等学校)を卒業した後に、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学、南薫造教室で油彩画を学びました。そして、1943年に繰上卒業します。すべてが戦争に駆り立てられていた時代でした。

戦後、福岡に戻った古川は、教員生活の傍ら、独立美術協会展などに出品、入選を重ねます。1949年独立賞を受賞します。その後も読売アンデパンダン展への出品や個展、グループ展の開催など精力的に活動を続けて行きました。

古川吉重《基礎》1954年、当館蔵

実家が空襲で全焼したため、戦前の古川の作品はほとんど現存していません。戦後、独立美術協会の独立賞を受賞したころは、フォービスム(野獣派)やセザンヌの影響を感じさせる画風で人物画や風景画などを描いていたようです。
しかし、次第に、直線や幾何学的形象が目立つキュビスム(立体派)風の手法で、労働者や機械などをテーマとした絵画を描くようになります。「私はこれから始まる現代的なドラマを表現していきたい」と古川は記しています。《基礎》はこの時期の作品です。展評を読むと独立美術協会の新風として評価されていたことがうかがえます。そして、しばらくすると、キュビスム風の作品から、人や機械など具体的なモチーフが無くなり、主眼が色彩や構成、それが生みだすダイナミズムに移っていきます。

古川吉重《向進》1956年、当館蔵

「昨年まで描いていた働く人々の姿や、鉄骨の中から説明的なものがなくなり、だんだん人々の心理的 な状態や、機械類の力学的な躍動に変わって來ました。
この他に「結集」「滲透」と二点 描きましたが、この作品も思考や 感情の動きが一つの社会現象となってゆくのを想いながら組み立てま した。
人や機械の小さいながらも活カ に充ちた力が、いつの間にか寄り集まって来て円形を形づくり、目的に向って次第に距離を縮めています。共通の意志を持った生きもの達が抵抗を除きながら、何度失敗しても建設的な行動をつづけます。 人や機械のうごめきが、鮮やかな円筒形をした手の尖端となって、 左方画面外の中心に大きく円形をなして迫って行くように構成しました。
余りに生まじめな内容は、造形操作の上でも、性急で単調になるのではないかと、幾分不安に思っています。
(古川吉重「向進」『美術手帖』第118号、1956年)

 

1963年、古川吉重はニューヨークで開催された世界美術家会議にオブザーバーとして参加します。古川の当初の計画は、アメリカを経て、ヨーロッパを周遊しようというものでした。日本橋画廊(ニューヨーク)で個展を開き、その売り上げを元手にしようとしていたのですが、上手くいかず、残されたのは帰りの航空券のみ。そして、古川はその航空券を現金に変え、ニューヨークで生きていく決意をします。

レストランや土産物屋など職を転々とする生活は苦しかったようですが、ニューヨークのアートシーンの新しい潮流に触れた古川は、これまでとがらりと作風を変えた作品に意欲的に取り組んでいきます。

古川吉重《無題》1971年、当館蔵

 渡米後、古川は明快な色彩とシンプルな形態を組み合わせた絵画やカンヴァス(画布)に規則的に穴をあけた作品、あるいはカンヴァスを貼りあわせた作品など、様々な作風の作品をつぎつぎと手がけていきます。《無題》(1971年)はこの時期に作品で、明るい黄色と青に色が塗られたカンヴァスが貼りあわせられた作品です。真ん中の黒のドットは実はカンヴァスに穴があけられて表現されています

カンバスの上に、カンバスを切って貼りつける。アメリカの水性速乾性の糊は、使いやすくて強い。 買ってきた動力で、アクリル塗料のスプレーをかける。わずかな表面のでこぼこに、自然の濃淡が出来ていく。夢中になって作った絵を並べたのは、ウェストベスの画廊だった。
ある日、花房壽夫さんが連れてきたケンドウさんは、それを見て、自分の大学で展示する計画をしてくれたが、そのころの仕事は、とめどなく変わっていった。一年たって、ペース大学でショーをすることになった作品は、カンバスの布地だけをつなぎ合わせたものだった。彼はそれもまた、よく理解をしてくれた。
(古川吉重『裏窓ニューヨーク』(1986年)より一部抜粋)

古川が取り組んだものの一つに黒いゴムシートと下地が施されていない素のカンヴァスを貼りあわせた作品群があります。1967年の帰国展で展示されたそれらゴムシートの作品は日本で高く評価されました。

ゴムとカンヴァスの作品を残念ながら当館は所蔵しておらず、今回は展示しておりませんが、埼玉県立近代美術館さんのMOMASコレクション第4期(2017年)の「特集:古川吉重」会場風景記録で見ることができます。https://www.facebook.com/watch/?v=767777013398601

しかし、1970年代末から古川は次第に油彩画への回帰を試みます。黒と白の油彩画から、次第に中間色が入り、そして色彩が再び戻ってきます。

古川吉重《L10-4》1991年、当館蔵

続きは<コレクション展Ⅱ「特集1 古川吉重の抽象」「特集2 ようこそedukenbiへ!」会場風景をご紹介します【2】>で。しばらくお待ちください。

「森のフロッタージュ」に参加してみませんか?

コレクション展Ⅱ関連イベント〈スザキの森のアートピクニック〉の「森のフロッタージュ」は期間中(6/1~6/27)はいつでも誰でも、ふらっと美術館に立ち寄って参加できます。

フロッタージュとは凹凸のあるものの上に紙を置いて、鉛筆などでこするように描くことで、ものの凹凸や形状を写し取る技法のことです。マックス・エルンストなどシュールレアリストの作家が好んだ技法としても知られています。 (参考:ポーラ美術館さんのフロッタージュの解説動画など)

須崎公園の葉っぱや木やベンチや道の凸凹を写し取ってみましょう。

「森のフロッタージュ」の参加のしかた

美術館の入り口にある森の木ポストには、参加者が自由にとっていけるように和紙とクレヨンが置いてあります。

和紙とクレヨンをとったら須崎公園を探索。

例えば木の根っこをフロッタージュ。

あるいは落ちていた葉っぱをフロッタージュ。

葉っぱは凸凹の少ないものの上にのせてこすり出しした方が葉っぱのかたちが出やすいです。

付箋に何をフロッタージュしたのか書いていただけるととてもうれしいです。※書かなくてもOK

最後に森の木ポストに投函。

投函していただいたフロッタージュは7月のオーギカナエさんの展覧会「森であいましょう」で作品の一部になります。なお、返却はできませんのでご了承ください。

そのほか詳しくはこちらもご参照ください。→〈スザキの森のアートピクニック〉

コレクション展Ⅱに関してはこちら。→福岡県立美術館コレクション展Ⅱ「特集1:古川吉重の抽象 」「特集2:ようこそedukenbiへ!」

〈スザキの森のアートピクニック〉開幕!

緊急事態宣言の延長でコレクション展Ⅱのオープンは延期されることになりましたが、関連イベント「〈スザキの森のアートピクニック〉森のフロッタージュ」は本日よりはじまっています。

今夏から工事のために閉ってしまう須崎公園をテーマに、コレクション展Ⅱ「特集2 ようこそedukenb iへ!」にも特別出品している現代美術アーティストのオーギカナエさんのワークショップ&展覧会〈スザキの森のアートピクニック〉を開催します。

まずはじめにスタートしたのは「森のフロッタージュ」。

須崎公園の木や葉っぱ、道やベンチなどの模様(もよう)を集めています。

葉っぱの上に紙をおき、上からクレヨンでぬっていくと模様(もよう)が写しとれます。
完成した紙は美術館に設置してあるポストへ!

※7月のオーギカナエさんの展覧会で作品の一部になります。なお、返却はできませんのでご了承ください。

紙やクレヨンは美術館でお渡ししています。

「森のフロッタージュ」に参加されるかたは、自由におとりください。

付箋にフロッタージュした場所を書いてもらえるとうれしいです!

期限は6月27日(日)まで!

そのほかの〈スザキの森のアートピクニック〉のイベントについてはコチラをチェック→

コレクション展Ⅱ関連企画 夏のワークショップ&展覧会
〈スザキの森のアートピクニック〉

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