福岡県立美術館
Fukuoka Prefectural Museum of Art
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「牛島智子 2重らせんはからまない」展テキスト

「牛島智子 2重らせんはからまない」展会場パネルテキスト、記録集ジャケット裏の作品リストなどを掲載しています。11月中旬刊行の記録集とあわせてお楽しみください。

記録集出品リスト兼ジャケット

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前奏 先人たちに寄する
Prelude

 牛島智子が生まれ育った八女は、画家・坂本繁二郎(1882-1969)が終生の住まいとした地です。全国的に名が知られた繁二郎を市内で目にすることもあったそうで、白いお髭のお爺さんは、ご近所のヒーローで、郷里の誇りだったようです。牛島が学生時代、そして大学卒業後に選んだ道は、いわゆる「現代美術」であり、ラディカルな実験が繰り広げられる領域ではありましたが、振り返ってみると自分の根っこは八女にあり、坂本繁二郎という存在は大きな意味をもっていたのだろうと牛島は言います。そして、同時に、坂本繁二郎にとどまらず、松田諦晶(1886-1961)や古賀春江(1895-1933)髙島野十郎(1890-1975)や井上三綱(1899-1981)、柳瀬正夢(1900-1945)たち、福岡に生きた画家たちへの思いを生き生きと言葉にします。

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「ここから」会場風景

ここから
From Here

 のっそりとした牛の姿や合唱する蛙の声は、自分にとって郷里・八女の原風景なのだと牛島智子は語ります。同時に、「牛」は坂本繁二郎が得意としたモチーフでもあり、「食」という私たちと自然の接点、生命維持の出発点を喚起するモチーフでもあるとも言います。近年、牛島は牛をモチーフとした作品を集中的に制作していますが、そこには牛島にとっての八女の原風景、繁二郎への憧憬、「食」への思索、あるいは作家の名前にかけた言葉遊びが折り重なっています。このセクションでは、牛島の原型がつまった「牛」シリーズのほか、生活に密接に関わる「衣服」の作品、親から受け継いだ古い布地を継ぎあわせた作品や、展覧会の孵卵器である展示企画のための手製コンセプトブック、あるいはそのキャリアのスタート地点である80年代の作品などを展示しています。

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「海と山と、ろうそくと」会場風景

海と山と、ろうそくと
Where We live

 弧を描く山がちな日本列島というフレームがあり、そこに山と海があって、内なる山の神としてのクマと、外なる海の神としてのクジラがあるーー自分が生きる地へのまなざしと、東日本大震災という出来事が折り重なって、展示「逆光のクマクジラ」(2011年、旧玉乃井旅館)が生まれました。そのまなざしは後にレットウシリーズや《クジラ尾》、版画のクマクジラシリーズなどへと展開していくこととなります。
 私たちが生きる場所、そこに積み重なっていくものごとへのまなざしと思索は牛島の多くの作品の根幹にあるものです。90年代の終わりに帰郷したのち八女で市民活動などにも関わってきた経験もその基盤をなしているでしょう。牛島は同地で八女櫨研究会の立ち上げやろうそく作りワークショップの開催などにも取り組みつつ、木蝋や八女和紙、コンニャク糊などの素材を使い、その地の生に根差した活動を展開し続けています。その在り方を指して、牛島は、自分は「作物作家」であるとも言います。

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牛島智子《旅する青二才》2003-2008年

旅する青二才
The Traveling Greenhorn

 八女に深く根差した活動を展開する牛島ですが、そのアーティストとしての自己形成過程においては、横浜における様々な実験と制作への取組み、多くのアーティストや評論家達と交流した経験が大きな役割を果たしています。また、トライアングルワークショップAIR(1993年)や灰塚アースワークプロジェクトAIR(1998年)、BankART AIR 2017(2017年)をはじめとしたアーティスト・イン・レジデンスへの参加や各地の展覧会の開催も見逃せません。牛島は客人として、旅し、遊行する作家でもあります。土地を渡るその歩みは作品として結実する一方で、牛島のなかで葛藤も引き起こしていたようです。特に福岡に拠点を再度移してからの数年は牛島にとって模索の時期でもありました。その模索の時期からの転換点、2008年に開催された「旅する青二才」のタイトルのもと、このセクションでは当時の作品やアーティスト・イン・レジデンスに関わる作品などを紹介します。

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牛島智子《MAYUDAMA》2022年(内部)

巡り廻る、らせんのみちゆき
The Double Helix Is Not Entangled.

 回顧はカイコで蚕。新作《MAYUDAMA》は、三角形から十二角形まで多角形の辺を増殖させていく牛島智子の年代記「KAIKO節」シリーズを逆巻きに立体化したものであり、内部ではこれまでの歩みがとけあい白色化しています。これまで私たちが見てきたものは、いわば《MAYUDAMA》の中身であり、外部と内部が接続する「クラインの壺」のような構造で牛島の歩みが循環しているのです。
 時の流れを順に追って展開される「KAIKO節」、そして牛島特有の連想とおかしみ(フモール)で時間軸を乱しつつ会場に広がる諸作品、その牛島の歩みを辿る2つの異なるステップは、ときに先達たるアーティスト達の道行きと、ときに時代や社会と、向きあい共振しながら巡り廻ります。牛島は言います。「一対というのは調和した安定をもつ/それは生きていれば循環した強度に満ちている(twinkle)/しかし、死していれば、もつれ(twine)として頑固に鎮座する」。牛島智子の2重らせんの歩みは、軽やかなステップを踏みつつ、きらめき(twinkle)続けます。

※「DOUBLE」(1991年、ヒルサイドギャラリー)展図録より

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《KAIKO12角節》(2022年)を中心としたインスタレーション

 《KAIKO3角節》、《KAIKO4角節》、《KAIKO5角節》…..壁面のガラスケースなかには、三角形から十二角形まで多角形の辺を増殖させていく牛島智子の年代記「KAIKO節」シリーズを軸に、牛島の思い出の品々から牛島の高校生時代や大学生時代の作品、あるいは年代記で示される時期に手がけた作品や調査対象であった蝋燭の素材まで、様々なものがおおむね時代を順におって展示されています。背景となっているのは、牛島がこれまで活動報告として発行してきた壁新聞です。
 三角形の《KAIKO3角節》には、生まれた年の1958年から1959年、1960年の3年間が、続く四角形の《KAIKO4角節》には、1960年、1961年、1962年、1963年の4年間が、五角形の《KAIKO5角節》には、1963年、1964年、1965年、1966年、1967年の5年間が刻まれています。なぜ前後と一年を共有しているのか、その理由は、最後の部屋に展示されている《MAYUDAMA》を体感すると気づくことができるでしょう。多角形の辺を増やして展開するモチーフは牛島がしばしば用いるもので、八女市国武の牛島のアトリエの床にも大きく描かれています。通時的に、クロノロジカルに展開する壁面ガラスケースの内部も、牛島特有のリズムを刻みながら、時が進んでいっているのです。

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牛島智子《一週間だけろうそくや》2019年

牛島智子

福岡県八女市生まれ、現在、同市を拠点に活動。1981年に九州産業大学卒業後、上京しBゼミ(横浜市)で学び、1980~90年代はヒルサイドギャラリー、スカイドアアートプレイス青山等で個展を重ねる。Triangle Artist Workshop AIR(1993年)、灰塚アースワークプロジェクトAIR(1999年)などにも参加。90年代末から活動拠点を福岡・八女に移し、身近な自然や資源に目を向けながら作品を制作し、精力的に発表を続ける。「旅する青二才」(ギャラリーアートリエ、2008年)、「とりのメウオのメそして永常さん」(パトリア日田、2021年) などの個展のほか、「第30回今日の作家展~洋上の宇宙・アジア太平洋の現代アート」(横浜市民ギャラリー、1995年)、「カラダに効くアート」(九州芸文館、2015年)、「食と現代美術vol.8 アートと食と街」(BankART KAIKO、2021年)などグループ展にも多数参加

1958年  福岡県八女市生まれ。
1981年  九州産業大学芸術学部美術学科卒業。
     Bゼミスクール入所、83年から84年はAゼミに所属。
     90年より不定期にBゼミ講師を務め、95年より演習ゼミ講師(~99年)。
1984年  Jクラス(Bゼミ内にあった子供造形教室)講師(~94年)。
1985年  横浜市や神奈川県の学校で非常勤講師を務める(~88年)。同時期に読画会参加。
1988年  「ワークショップ・モノレール大船駅」に参加(~91年)。
1992年  「小雀信号所スタジオ」を主宰(~95年)。
1997年  90年後半から関東と福岡で活動、1997年に住民票を八女に移す。
2001年  「八女デザイン会議」に参加。
     水車、杉の葉線香、櫨、木蝋蝋燭、提灯、竹、楮和紙などを調べ市民講座などを手伝う(~2011年)。
2012年 「八女櫨研究会」を立ち上げる。
2021年 レジデンスプログラム「ねホリ はホリ drawing」を開始。

主な個展
1984年 「トオさんがラベラーうったよ」ギャラリー手、東京
1986年 「TOOOUー牛島智子展」ヒルサイドギャラリー、東京
1986年 「牛島智子TOOOU WORKS」 エリア・ドゥ・ギャラリー、福岡
1987 年 「TOOOU三角点」 コバヤシ画廊、東京 / アートスペースユア-ズ、伊東 / ギャラリー手、東京
1988年 「牛島智子展」ヒルサイドギャラリー、東京
1991年 「DOUBLE」ヒルサイドギャラリー、東京
1992年 「表面に働いて、いつもできるだけ小さい面積をとろうとする力」スカイドア・アートプレイス青山、東京
1993年 「多重ことば」 スカイドア・アートプレイス青山、東京
1996年 「POSITION」 スカイドア・アートプレイス青山、東京
2004年 「ひとりでうたうSinging Table」 福岡市美術館市民ギャラリー、福岡
2008年 「旅する青二才」ギャラリーアートリエ、福岡
2009年 「歩く動物」由布院アートホール、大分
2010年 「帽子じゃないよ、滑走路」九州日仏学館、福岡
2013年 「木蝋ろうそくのための燭台の展覧会」宇久画廊、福岡
2014年 「風が吹けば、ダイヤ五成る桶屋がモウ軽の編」九州芸文館、福岡
2014年 「腰曲げレットウ」art space tetora、福岡
2015年 「一週間だけろうそくや ケンビ」福岡県立美術館、福岡
2016年 「セルロース ウシジマトモコインスタレーション展」福岡アジア美術館交流ギャラリー、福岡
2017年 「かめのぞき」旧八女郡役所、福岡
2019年 「青玉ラムネ・カメラオブスキュラ」由布院駅アートホール、大分
2020年 「40年ドローイングと家婦」福岡市美術館市民ギャラリー、福岡 
2021年 「とりのメ ウオのメ」福岡市美術館市民ギャラリー、福岡
2021年 「パトリアARTシリーズVol.11 とりのメウオのメそして永常さん」パトリア日田、大分
2021年 「炭素ダンスでエウレカ」EUREKA、福岡
2021年 「ミミズになる」Art House 88、福岡
2022年 「トリへのへんしん」旧八女郡役所、福岡
2022年 「コマまわしシロウ-蝋」旧八女郡役所、福岡

主なグループ展
1981年 「POST-MODERN」石橋美術館、福岡
1982年 「するめんた七月場所」神奈川県民ホールギャラリー、神奈川
1982年 「芸術機能展」福岡市美術館、福岡
1982年 「Bゼミ展」横浜市民ギャラリー、神奈川(以降、84年、83年のBゼミ展に参加)
1985年 「臨界芸術・85年の位相展」村松画廊、東京
1989年 「現代のヒミコたちー新しい造形を求めて」イムズ、福岡
1995年 「第30回今日の作家展~洋上の宇宙・アジア太平洋の現代アート」横浜市民ギャラリー、神奈川
1997年 「アート屋台プロトタイプ」ギャラリー萬、福岡
1998年 「ユートピアン・ガレージ」モダンアートバンク・ヴァルト、福岡
2000年 「外出中ミュージアム・シティ・福岡」キャナルシティ天神コア、ソラリア、福岡
2001年 「旧家でアート」 八女市白壁ギャラリー・堺屋、福岡
2009年 「かのごしまメイキング」能古島旧公民館、福岡
2011年 「第6回津屋崎現代美術展」旧玉乃井旅館、福岡(以降、13年、15年、16年の津屋崎現代美術展に参加)
2013年 「福岡現代美術クロニクル1970-2000」福岡県立美術館・福岡市美術館、福岡
2015年 「ちくごアートファーム計画 2015 カラダに効くアート」九州芸文館、福岡
2017年 「『赤玉ケイト』オムニバス盤 ウシジマトモコ編」福岡県立美術館彫刻展示室、福岡
2018年 「CHIKUGO ART POT 2018 スーパーローカルマーケット」九州芸文館、福岡
2020年 「スクラップ オブ KAWARADAKE」採銅所駅舎第二待合室、福岡
2021年 「アートと食と街 食と現代美術vol.8」BankART KAIKO、神奈川

主なアーティスト・イン・レジデンス等への参加
1993年 Triangle Artist Workshop(ニューヨーク州パイン・プレインズ、アメリカ合衆国)
1999年 灰塚アースワークプロジェクト (灰塚、広島県)
2001年 A Japanese Biennial Culture Exchange(クィーンズランド州、オーストラリア連邦)
2010年 BankART AIR Program(横浜、神奈川県)
2013年 Residency program at AIR/HMC, Session5, The Hungarian Multicultural Center(ブダペスト、ハンガリー)
2017年 BankART AIR 2017(横浜、神奈川県)

牛島智子《変形和紙文字》2022年

会場撮影:長野聡史

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