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児島善三郎が「キャンバスにこめた希望」(第5回) キャンバスにこめた希望 不滅の美の探求

10月7日(土)から12月10日(日)まで、当館で開催している「生誕130年 児島善三郎展―キャンバスにこめた希望」をより深く楽しんでいただくために、「児島善三郎が「キャンバスにこめた希望」」と題する記事を全6回にわたってお届けします。

第5回 キャンバスにこめた希望―不滅の美の探求

「「春遠からじ!」希望をもつことだ。やがては春も廻り来る」

この一文は、児島善三郎が昭和25年(1950)に描いた代表作《春遠からじ》に、自ら添えた言葉です。《春遠からじ》に描かれているのは、かねてより児島が幾度となく描いてきた国分寺の風景です。終戦前後に描いた国分寺風景をテーマとする作品では、誇張的な表現が抑えられ、むしろ様式化を加えず、写生に基づいた写実的な表現へ回帰しています。

児島善三郎《春遠からじ》昭和25年(1950)、個人蔵 *暗い冬の風景のなかに、緑色の草が萌えている。厳しい冬も間もなく終わり、穏やかな春が訪れるまさにその季節感を見事に表現する。

さて、戦時中においては、「彩管報国」のスローガンのもとに多くの画家が時代の動きに従ったなかで、児島は戦争に直接かかわるような仕事はしませんでした。そのため、絵具の配給が止まったり、キャンバスが尽きたり、苦しい時代を過ごしたと云います。しかし、戦前と戦後で描く対象が大きく変わらず、画業が断絶しなかったことは幸いなことでした。

児島善三郎《国分寺風景(雪)》昭和22年(1947)、個人蔵

とはいえ、終戦を迎え、時代や価値観の大きすぎる変化にさらされたことが、画家の感受性に全く作用しないはずはなく、戦争末期から戦後まもない頃にかけて描かれたのどかな国分寺の風景には、未曾有の苦難と空虚に満ちた時代のなかでも、絵にだけは「永遠であること」「悠久であること」を切実なまでに求めようとする、祈りのようなものさえ浮かび上がってきます。

児島善三郎《満開》昭和23年(1948)、個人蔵(福岡県立美術館寄託) *自邸の東屋を中心に満開の桜を描く。やがて季節はめぐり、春がやってくることを祈るような気持ちが重ね合わせられているのかもしれない。

その流れのなかで生まれた作品が《春遠からじ》。寒い冬のあとには必ずあたたかな春が来るように、季節は永遠にめぐり続けること、そしてだからこそ、どんな困難な時代にも終わりは必ず訪れることを示そうとしたのではないでしょうか。その芯の通った絵と力強い言葉が、見るものの心を鼓舞し、希望を与えるのだと信じて。

児島善三郎《アルプスへの道》昭和26年(1951)、東京国立近代美術館蔵 *日本アルプスの堂々たる姿に、躍動感に満ちた雲を添える。「悠久なるものへの憧れ」を込め、大自然の呼吸を全身に引き受けながら描き上げた戦後の風景画の傑作。

《春遠からじ》のにち、児島の視点は、国分寺風景という身近な場所から雄大な山岳風景へと向かいます。戦後の名作としても名高い《アルプスへの道》では、力強くそびえたつ日本アルプスの堂々たる姿が捉えられています。造形的な完成度の高さもさながら、戦後という復興途上の時代を生きる人々にとって、世の中を照らし出す希望の光になる、という同時代的な意味を含んだ作品であったことが、その評価を確かなものにしたのでしょう。

児島は、《アルプスへの道》の制作メモ(未公刊)のなかに、こんな言葉を遺しています。

「我々は画を見ることにより強い活力と、人生に希望と生命の歓喜を呼び起させる嵐の様な生命を持った画を描かねばならない」。

児島善三郎《風景(桜)》昭和23年頃(c.1948)、直方谷尾美術館蔵 *国分寺の桜並木を描く。桜の下をゆったりと歩く人々の姿からは、穏やかな春の到来を喜ぶ気持ちが伝わってくるようだ。

児島善三郎が「キャンバスにこめた希望」は、時代を経た今でも生き生きと絵の中に宿り続け、今を生きる私たちの心も、明るい方へと導いてくれます。

 

第1回「苦難と成長の青年時代―絵を描く喜び」はこちらから

第2回「憧れのヨーロッパ―希望に満ちた船出」はこちらから

第3回「新時代の美術を確立する―独立美術協会の設立」はこちらから

第4回「国分寺―風景との対話」はこちらから

「生誕130年 児島善三郎展」のページはこちらから

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