紙に墨一色で描かれたまるで抽象画にしか見えないこのふしぎな絵は、左下のサインがなければ上下左右も判然としません。サインには「U.Ueda」。日本画家 上田宇三郎(1912-1964)が49歳のときに描いた作品です。題名は《水》となっています。
水を描くとはいえ、画家は流れる川やさざ波立つ湖面を悠然と眺めているわけではありません。その姿を目で見ようとするのではなく、中にどぼんと入って交わって、体で感じる水を(想像することで)描こうとしています。流れ、ぶつかり、浮かび、沈み、湧き、消える。水の生命力とでもいうべきものがここにはとらえられていますし、にじみやぼかしを駆使した技法もあいまって、水が奥行きを持った存在としてこちらに迫ってきます。
上田は福岡県芥屋町(現在の博多区)に生まれました。大正14年(1925)福岡中学校に入学し、学業はつねに優秀でしたが、生来病弱だったために病気退学となります。退学後、気候の穏やかな春と秋だけ京都に滞在し、日本画を学びました。
戦後は主に福岡で活躍し、西部美術協会の結成に参加、昭和22年(1947)には宇治山哲平、赤星孝、山田栄二、久野大正らと福岡で戦後最初の美術家グループ「朱貌社」を結成しました。日本画家も洋画家もジャンル関係なく切磋琢磨しあうこのグループでの活動は、上田にもずいぶん刺激を与えたことでしょう。幾何学的な色面分割と大胆な墨線によってデフォルメされ、平面化された彼の日本画は、じつに前衛的でモダン。同34年からは日本表現派展に出品を重ね、さらに実験的で新たな画風を展開していきますが、惜しくも志し半ばで他界しました。
冒頭の作品を描いたのが亡くなる3年前。当時上田は「水」の連作を手がけ、じつにさまざまな水を生み出しました。なぜ水を描くようになったのかについては推測の域を出ませんが、戦後間もなくから鏡に向かう女性とその鏡像、あるいは木々と湖面に映る風景との組み合わせをよく描いていたことは注目に値します。それらの絵を見ていると、どちらが実体でどちらが虚像なのかが曖昧となり、虚実の関係が撹乱され、まるで入れ子のようになっていきます。ここには上田の虚弱な体質ゆえの〈弱いもの〉〈儚いもの〉〈捉えがたいもの〉への共感や偏愛が作用していたのかもしれません。
やがて「樹林」シリーズに見られるようなネガ・ポジの関係が反転した世界が立ち現われ、さらに「水」シリーズにおいて上田はいよいよ虚実の実、ネガ・ポジのポジをかなぐり捨て、虚/ネガのなかへと果敢に潜り込んでいくのです。
画面に広がった息苦しいまでの生命力は、それをなんとかつかみ取ろうとする画家の気迫をこそ伝えてくれます。(竹口)
他館での展覧会情報
福岡市美術館で上田宇三郎の回顧展が2014年2月16日まで開催中。当館の収蔵品も多数出品されています。
没後50年 上田宇三郎展 ―もう一つの時間へ―
福岡市美術館(福岡市中央区大濠公園)
2013年12月18日~2014年2月16日
http://www.fukuoka-art-museum.jp/