小さな入り江に抱かれて広がる紺碧の海が印象的です。さっと画面を撫でるように純白の絵具で引かれた波が、海の青さを引き立てるとともに、画面に軽快な動きを与えています。じっと見ていると、波や風の音が聞こえてくるようです。
中村琢二(1897-1988)は人物画とともに、海や山を望む風景画を数多く描きました。彼は本作のような小さなカンバスを持って各地に出かけ、気に入った風景を前にイーゼルを立て、現場でほぼ描き上げてしまいます。彼はアトリエにおいて人物画や大作を描き、合間に写生旅行を繰り返していました。例えば1971年の日記によれば、5月に信州の高遠、5-6月は蔵王・会津若松・磐梯山、6-7月に木曾と大井川上流、11月には京都から尾道さらに松江と足を伸ばしています。
本作に描かれた波勝崎は西伊豆にあります。西伊豆は彼の好みの写生地で、何度となく訪れては絵にしています。「西伊豆の海岸の陽だまりなどで画を描いている時、私も絵描きになってよかったとしみじみ思うことがあります」と回想していますが、美しい風景に接した琢二自身の喜びや弾む心が絵に潤いを与えています。
彼は兄の研一こそがプロであって、自分はアマチュアに過ぎないと語っています。研一のように美術学校出身ではありませんが、琢二も日本芸術院会員となった立派なプロです。この言葉は、描く楽しさを忘れることがなかったことを語っているのではないか。本作を見るとアマチュアであることは彼にとって誇りの言葉でもあったように思えるのです。(西本匡伸/福岡県立美術館副館長)
*本作は、コレクション展Ⅰ「生誕120年 中村琢二 瑞々しき画布の輝き」展にてご覧いただけます(2017年3月25日~6月18日)。