「玄海灘」と題された一対の大型木彫は、冨永朝堂(とみなが ちょうどう/1897~1987)が60歳代半ばに手掛けた連作です。
1点は、玄海の沿岸で見られる玄武岩の柱状節理を題材に、剛直な六角柱が幾重にも重なり突き上る構成。
翌年制作の1点では、縄文期の土偶にも似た体躯に、岸壁に打ち寄せては砕ける波のイメージを、深く執拗に刻み込みます。
具象とも抽象ともいえる、これら異形の造型には、悠久の時を経た大自然の様相がひそんでいるようです。
福岡市出身の朝堂は、上京して同郷の近代木彫界の巨匠・山崎朝雲に入門、師の教えである「水もしたたるような出来栄え」と称される精緻で写実的な彫技を体得しました。のち戦時期に、太宰府へ疎開しそのまま定住、やがて還暦で日展会員となった以降は、作風を一変させ、試行錯誤を重ねては自由な造形を目指します。ノミ跡をあらわに木の量感を強調した本作も、円熟期ながら新たな挑戦を続けた朝堂芸術の、頂点の一つにあたります。
昭和60年(1985)、最晩年の朝堂は福岡県立美術館の開館を祝して多くの自作を寄贈、このとき館内を隈なく見て回り、本作の常設場所を定めました。以後30数年、「玄海灘」はその原始的で重厚な偉容を誇りつつ静かに安座し、来館者に親しまれているのです。(魚里)
*「玄海灘」は、当館4階ビデオブース前で常設展示しています。なお、地名としては「玄界灘」あるいは「玄海」が正確ですが、作品発表時のタイトルを尊重し、当館では作品名を「玄海灘」で統一しています。