福岡市出身の今中素友(いまなか そゆう/1886-1959)は、はじめ地元の上田鉄耕に絵を学び、さらに19歳で上京、当時新進気鋭であった川合玉堂に師事します。その門下で修行に励み、また新たな画境を求めて北海道を遊歴し、やがて文展でも3度の入選を果たして自らの方向性をほぼ確立しようとした30歳の頃、本作は描かれました。
「姪の浜の真景」と箱書きされた題名から、郷里郊外に位置する、早良郡姪浜町(現・福岡市西区)の海浜風景を描いたものとわかり、さらに入江や山の地形から、縦長の画面にあわせての誇張も見られますが、現在の小戸公園の付近と想像されます。描かれる2年前には、近隣で姪浜炭鉱(早良炭鉱)が創業、その好況の影響もあるのか、藁ぶき小屋が居並ぶ漁村に瓦ぶきの蔵も入り交じり、浜辺で漁に勤しむ人々の他に、往来を行き交う人馬も見ることができます。
姪浜は神功皇后の伝説にも由来する古くからの地名ながら、特に景勝の地として知られる場所とはいえません。しかし若き日の画家は、美しい自然と人々の豊かな営みが穏やかに調和する平和な漁村に、絵心を誘われたようです。後年には優美な花鳥画家として日展などで名声を馳せる素友ですが、本作は慈しみのまなざしがあふれた秀逸な風景画として、別趣の魅力を伝えています。(魚里)