まるでルービックキューブのようなカラフルな小箱。実はこれは漆の箱。1930年代の沖縄でデザインされて、つくられました。当時どれほど斬新なデザインだったのかを、いまでも色あせることのないその印象から想像できるかもしれません。
デザインしたのは柏崎栄助(1910-86)。秋田に生まれ、東京美術学校(現在の東京藝術大学)図案科に学び、戦後は縁あって福岡に定住したデザイナーです。彼はいったいどうしてこのようなデザインをつくったのでしょう。ひとつは「漆器」らしく見せたくなかったから。朱や黒を基調にして螺鈿や蒔絵による装飾を施した古式ゆかしいデザインではなく、幾何学的なデザインにより色漆の色そのものを主役にしています。ハレの日にうやうやしく手にする高級な調度品ではなく、日々の暮らしのなかでこそ映える道具。モダンデザインのお手本といえるでしょう。
もう一つの理由は、やはり「漆器」らしさを追求したかったから。沖縄にはいまも琉球漆器の伝統が続いていますが、その最大の特徴である漆の鮮やかな発色がデザインとしてみごとに活かされています。また琉球漆器で使用されるデイゴやシタマキといった南洋系の木は多孔質で柔らかく、軽く加工しやすいのが特徴。見た目の木の分厚さとはあいまって、手に取ると予想外の軽さに「あっ!」と声をあげてしまうほど。木の厚みを活かしたデザインはその驚きをいつもまでも新鮮なまま保ち、道具として日々使うよろこびを与えてくれるのです。
いまだ「デザイナー」という言葉さえ定着していなかった時代に柏崎は、自らの職能を「人間が生きること」に賭け、ときには自らの肉体を酷使して「生きる」とはどういうことかと考えつづけました。「すべての創造活動は、生きるという基本から始まる。(中略)私はデザイナーという技術家としての突込みに走っているが、人間が生きることからデザイナーの仕事は始まるのだ。それを、この身でしっかりと受け止めたい。社会生活に役立つものを作りたい。この島の人にも役に立つ何かを残したい」。昭和40年の日記にこう書きつけた柏崎は学生時代から沖縄に通い、八重山などの離島を回り島の人たちと語り合ったり、無人島でひとりぶっ倒れるまで歩きつづけたりしていたのでした。
紹介した小箱をはじめ、沖縄漆工芸組合紅房(べんぼう)のもとでデザインされた数々の漆器は、デザイナー柏崎栄助の原点にあたります。戦後福岡に定住した柏崎は、以降もフリーデザイナーの立場から、福岡特殊硝子(マルティグラス)でのデザイン指導、長崎県窯業指導所でのアイボリーチャイナの開発、福岡県福島工業試験場での木竹工デザインの見直し、筑後特殊花筵デザイン研究会の共同制作など様々な現場に関わります。その一方で九州クラフトデザイナー協会初代理事長、福岡学芸大学(現在の福岡教育大学)での非常勤講師と卒業生たちとの紙造形研究室(かみ研)の立ち上げ、岩田屋百貨店顧問、NIC顧問などを務め、後進の育成にも努めました。
「柏崎先生のデザインは、デザイナーにデザインの何たるかを教えてくれるデザインだ」。福岡で活躍する多くのデザイナーがいまもそう口をそろえ、生活者の思想を貫いたデザイナーの生きざまに襟を正すのです。(竹口)
*2月9日まで田川市美術館で開催中の「福岡県立美術館所蔵品巡回展 移動美術館展 未来をデザインする美術館」において、ここでご紹介した作品をはじめ、柏崎栄助デザインの漆器やガラス器などを見ていただけます。
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